苦海浄土=くがいじょうど=公害土壌。

今年は昭和100年にあたるとのこと。年明けの朝日新聞だったか、近代歴史家の保阪氏が、昭和100年にあたり読んでおきたい本を何冊かあげていた。そのうちの一つが、水俣病と水俣病患者を扱った「苦海浄土」(くがい・じょうど)。作者は石牟礼道子さん。

そこまで大切な本なのか、じゃあこの際読んでおくか、と軽い気持ちで取り寄せて読み始めたが、まあ重いのなんの。

これまで読んだ本の中で、過去に記憶にないぐらい重く、真顔で眉間にしわを寄せて端座して読まざるを得ない本であった。

石牟礼さんのお名前やこの作品の名前はこれまで新聞紙上などでよくお見掛けしていたが、ついぞ読む機会がないまま、この年までわが人生も時間が過ぎてしまっていた。だが、日本人はおそらく「苦界浄土」を読んだことがある人間と、読んでいない人間で、まったく人生観や社会観が違うんだろうな、というぐらいに衝撃を受けたし、重要な本であると思った。(ちなみにこの、読んだことのある人間とそうでない人間を二分法で分けるという表現、私のなかでままあるテクニックのようなので、額面通り受け取らないでほしい。それぐらい衝撃的な内容だったといいたいだけ)

ではなぜこの本がそれほど重要で衝撃的なのか。3、4点ある。

いままでおそらく何人ものプロの評論家の方が苦界浄土と石牟礼さんの素晴らしさを語ってくれていると思うし、そんな論評ならchat-GPT君に聴けばたちどころに適切なサマリーを出してくれるだろうから、それを読んでほしい。

ここに書くことはあくまで個人的な読書体験からの重要さなので、参考にしないでほしいし、ならないと思うが、2025年に生きるいち都民、という地平からメモしておく。

重要だと思う理由1;水俣病の実相をうかがい知ることができる作品だから。昭和30年前後に初めて原因不明の奇病に侵され、苦しみ、いわれなき差別にあい、まったく救済措置も受けられない様子が、当時の熊本水俣地方の漁村の美しい風景とともに描写される。

途中途中で医学的な報告書や議会議事録などが差しはさまれ、作品によりリアリティをもたせている。

ただし、読んでいる途中で気づき、解説を読んでさらに腑に落ちたのだが、作者が描く水俣病患者たちの心の叫びや発言は、ほとんどが創作なのだという。えっと思うほど魂の叫びとして伝わってくる。これらの言葉が、架空のフィクションなのか。。いや、そういう意味の創作=妄想やでっちあげではなく、非常にリアリティを帯びた創作となっている。

かつて、記者の先輩からよく言われたたとえ話がある。それは「記者たるもの、100取材して10書くんだ。90は捨てるんだ。頭としっぽはくれてやれ」という教えだった。新聞はこのようなブログと違い紙幅が狭く、締め切り時間も限られている。コアとなる部分しか書けないという意味もあるが、それだけではなく、あれこれと濃く取材した記者なら、相手から深く信頼されてもいるし、一字一句再現しなくても(どのように書いても)正解となる、コンパクトに相手が言いたかったことを言い当て外さない、という意味もあったのだと思う。いまはキリトリとか偏向とネットでたたかれてしまうが、そうでない豊饒な世界が、以前の取材対象と取材者の間にはありえた、ということか。

石牟礼さんも患者に多数接するなかで、もしかしたら似たような境地にいたったのかもしれない。つまり取材を重ねに重ねるなかで、患者の気持ちが憑依するまでになり、自分のなかの正解にたどり着いたのではないだろうか。しかも石牟礼さんは同じ水俣に生きる生活者でもあったのだから、水俣病がない時代、水俣病がある時代、どちらの生活・風土・意識にぴたりと寄り添うことができた。そのうえでの、私たちを脅かせ考え込ませ深く沈みこませる、昭和100年の風雪に耐えうる、迫真のリアルな描写・セリフを生み出せたのではないだろうか。

それにしても、、水俣病について、私は、その時々で、訴訟記事が新聞に載る程度の知識や関心しか持たないまま、生きてきたことが、この読書体験でいかというほど突き付けられた。

そんな自分が、相当に恥ずかしい。これが九州勤務を経験していたらすこしは違っていたのかもしれない。

この本(創作というがリアルな、不思議な創作)のおかげで、水俣病の発生初期の大事な部分、外してはならない部分について、かなりの程度、理解できた気がする。(もちろん医学関係者や裁判関係者、患者さんや家族からするとそうではない、一冊読んだ程度でなにを言っているんだとしかられそうであるが)

重要な理由2:この本は、昭和100年とどう関係があるのだろう? 水俣病をつくった原因企業はチッソという。それは知っていた。水銀を工場から排出したことが原因で、魚介類に生物濃縮されそれを食べた沿岸庶民が次々に中毒で中枢神経がやられていった。それも知識として知っていた。しかし発生したのは昭和30年代である。そこから数えてまだ70年である。なぜ昭和100年を俯瞰してみての重要著作に選ばれたのか。

これについては、公害史=近代産業発展史でもあるから、ではないだろうか。作中にも出てくるが、日本は明治にすでに栃木県の足尾鉱毒事件を経験している。その時も渡良瀬地域で多数の農村民が被害にあっているが、多くは満足な救済が得られなかった、ようだ。

(いまようだ、と書いたが、やはり不覚にも、私は足尾鉱毒事件すら、具体的にどのような顛末であったのかすら、わかっていない。不勉強この上ない。。キレイに、意識のなかで「覚えなくていい歴史」「思い出すとツライ歴史」に分類されているのだろうか)

水俣のあとには、新潟県で第二水俣病が起きた。ほかにも四日市、富山などで公害認定される大公害があったことは、教科書で習ったとおりだ。それなのに。

そしてフクシマ。

国策により、産業が地域の暮らしに恩恵を与えもするし、一方で自然を汚し、暗い影を落とす。悲しみが残る。ほんとうはこの昭和百年にはそんな側面があることを、いまいちど思い起こすべきだ。。。というのが保阪氏のメッセージなのだろうと思った。

水俣病は公害認定から長い年月がすぎ、チッソの操業はなくなり水銀の排出はなくなった。おそらく今訪れたら、のどかな漁村でしかないだろう。訪れてみたい気がする。ヒロシマナガサキは祈念館資料館があり、修学旅行先となっている。

フクシマもいずれそうなるべきだし、水俣もそうだろう。

物事には両面があるのだということを若いうちに触れておくのは悪いことではないはずだ。この快適な東京暮らしは、なんらかの犠牲のうえに成り立っている。そこに思いをはせることができる人間でありたい。

もちろん、都会の人間も相当程度、田舎からすると不快な生活を耐え忍んでいる一面がある。物価や税収の面が、そうかもしれない。ここは田舎と都会、相互に価値を交換しあっていると言えなくもないか。

重要な理由3:チッソと私たち。読んでいくと、チッソという原因企業の、驚くほどの怠慢、緩慢、傲慢、不作為、対策への不誠実さにいらいらする。このあたりも「昭和だよね」満載だ。コンプライアンス違反も甚だしいし、第三者委員会もないし、記者会見もない。対策弁護団もないし、国際監視もない。水俣市を支える筆頭企業であり市長もチッソ出身。企業城下町における行政など、何も機能しない。

しかし、この構図は、令和の今もなくなっていない。政府のいうことを聞かないグローバルテック企業。ほとんど免許制にするしかないほど青少年に中毒症状を起こしているSNSは、いまだに放置である。

重要な理由4:苦海浄土のなかで、昭和43年、1968年がターニングポイントとなっているから。この年、やっと水俣病を国が公害認定した。苦界浄土は、発生からこの年までの動きをおもに扱っている。

1968年は、日本にとって、世界にとって間違いなくターニングポイントとなっている年だと思う。この年に水俣病もまた公式認定されたのである。

この年はなにせ明治維新100年にあたる年であり、マーチンルーサーキング牧師が暗殺され、ケネディ上院議員もまた凶弾に倒れ、パリで五月革命、東大安田講堂事件が起き世界的に学生運動が最高潮に。三億円事件もあったし、ビートルズがホワイトアルバムを出し、巨人の星が人気となり、川端康成がノーベル賞をとった。世情、騒然としていた(いつの時代だって実はそうなのだが)。

そして私が生まれた年でもある。そんな大変な時代に、のこのことこの世に顔を出したのである。幸せなヤツである。

おまけ:苦海浄土の読み方。これまで、この著作の話題を目にするたび、「くかい・じょうど」だと思っていた。しかし、実際には「くがい・じょうど」だったことに気づいた。辞書的にはくかい、でも、くがい、でもどちらで読んでもよい。

ではなぜ石牟礼さんは濁音を選んだのか。読ませたかったのか。

私の説はこうだ。「くがい」は、「こうがい=公害」に音が似ているからだと思う。

水俣の地=浄土のような、のどかな海と空の世界。それを「苦界」にしたのは、公害であった。そのことを暗に言いたかったのではないだろうか。

そしてさらに言えば、水俣病は、「公害」ではなく、工場の廃液に端を発する害、すなわち「工害」であろう。

公害はすべからく、近代産業=工業が生んだ害、である。本来、「工害」と呼ぶ方が実態に近いのではないか。だから苦海浄土は本来「工害浄土」なのである。

次に、浄土(じょうど)を持ってきたのはなぜか。

これは、浄土=「じょうど」は、逆転させると「どじょう」=土壌である。土壌。。まさに有機水銀におかされた不知火海のヘドロが原因物質となったことを思い起こさせることができるではないか。

ここまでくるとこじつけが過ぎるか。。作品の価値を損ね始めた気がするので、ここまでとする。


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