ほぼ1年ぶりの更新となる。
なんと間があいてしまったことか。
この間にあったこと…本の出版を手伝った
前回このブログを更新したのは昨年9月のこと。
更新できなかった言い訳のひとつは、そのころから年明けにかけて、自分の身の上に、ある本の出版をお手伝いする機会が訪れたことだ。
これでブログを書く時間がうしなわれ、プライベートが一気に忙しくなった。また、家族の(息子の受験もあったし。PTA活動もあったし、もちろん仕事もいろいろあったし…)。
本の出版をお手伝いする機会とは、具体的にはどういうことだったか。
実は、とあるビジネス系の本を出そうとしている著者ご本人から、原稿の直前校閲や売り出し方の知恵だしチームに加わってくれないか、という話であった。
かつてマスコミの世界にはいたが、書籍の出版の世界に詳しいわけではないので、売り出し方の成功術を知っているわけではない。その方面の方も声をかけられていて、色々なアイデアが出ていたが、私はもっぱら直前校閲に徹した。
いわゆるプルーフリーディングというのか、初読者としての感想をつたえるような仕事だった。
仕事というか、手弁当なので、ボランティアなのだが、面白い機会なのでプライベートをつぶしてがんばらせていただいた。
具体的にはどういう作業だったかというと、著者さんからメール添付で原稿のPDFがどさっと手元に届き、ざっと読んでいくというだけ。
読んでいきながら、気づいたところはメモ帳にめもして、まとまったら返していく。
それだけだが、ずいぶん重宝がられ、役にたったようだ(うまくおだてられた笑)。
出版あるあるだと思うが、本にするような長い原稿って、著者も編集者も繰り返し読んでいるうちに、どこが読みにくいかとか、どこが偏っているかとかだんだん見えなくなってしまうもの(初めて目にする者の意識から遠くなっていってしまう)。だから、初読者としての意見を、世の中に出す前にもういちど取り込んでブラッシュアップするのはとても大事な工程で、そこをきちんとこなす、この著者と編集者は応援したくなるチームだった。
「ここはこうしたほうがわかりやすいんじゃないかと思った」とか「ここの表現間違ってますよー」とか「この漢字は難しくてふつうは使わないと思います」とか言っていった。3回は通読したかな。
著者の方はすごく心の広い方で、私のいうことをほぼ丸のみしてくれ、どんどんと最終原稿に反映されていった。
この本については、別の機会でとりあげられたらいいなと思うが、あとがきで小生の名前も載せて下さり(2か所も!)、わが人生でまたとない機会となった。
そして、その本は、ビジネス書としては異例の売れ行きとなり、もう10万部が視野に入ってくるところ。類書も多いジャンルだし、もうさすがに伸びないかな、と思うがじわじわ売れ続けている。
本題。総理暗殺に端を発する衆院議長への注目
さて、前置きが長くなった。
この一年の間に国内で起きた最大の出来事といえば、7月の安倍首相の暗殺だろう。
そして次々と明らかになった、統一教会と自民党(とくに安倍派)の深い関係。さもありなんというつながりが、白日の下にさらされた夏だったが、ここへきてマスコミがさわいでいるのが、細田衆議院議長と統一教会のかかわりだ。衆院議長という役職のせいか、本人のアカウンタビリティの問題なのか、なかなかすっきりした説明がなされず、かえってマスコミや野党は攻撃を強める展開。
この問題自体は、私はさほど関心がない。マスコミや野党、ご本人が職責を果たしてくれればいいなとは思う。
私の関心は、いま、この、「衆議院議長」という役職そのものの、隠された面白さ、政治的面白さ、に向かっている。
どうも、歴代の衆議院議長は、与党の中の最長老、名誉職的なポストとなっていて、当然10回とかを重ねたような人で、政権や内閣総理大臣と気脈を通じているけど歯向かうようなことはもちろんなく、温厚でバランス感ある、議会政治に精通した政治家が、政治家人生の晩年に就く、いわゆる上りポスト、おいしいポスト、ご隠居ポストというイメージがないだろうか。
少なくとも私は、そういう印象をもっていた。
権威はあるけど、権力はない、みたいな。
しかし、ですよ。
考えてみたら、衆議院議長は、三権の長ですよ。
三権というのは、小学校6年の社会で習う、立法、行政、司法の三権分立の一角である、立法の府の長ですよ。
そして、日本の立法府は二院制で参院はありますが、いいのか悪いのか「お飾り」といわれる参院に比べ、様々な優越権がある衆院のトップです。
そして、小学生は、戦後の日本国憲法は、立法府が国権の最高機関、と習います。行政府たる内閣ではありません。
あくまで、内閣総理大臣が率いる行政府は、議院内閣制によって、国会より選出されたものが率いるのであって、大統領制ではないのだから、国会が「おまえに行政まかせたよ」と選んでいるに過ぎない。
つまり、衆院議長は、本来、すごい権力者なんじゃないだろうか。
そう考えると、実は衆院議長を主人公とした政治小説が書けたら面白いなと思った次第。
それが、ドタバタ劇なのかシリアスものなのかは考えてみますが、、、
安倍政権と菅政権の約9年、かなーり憲法を拡大解釈した政治が行われてきた気がするが、「おかしい」と言えるとしたら衆院議長だったのではないだろうか(いや、たしか大島議長、そんなコメントを出したことは確かにあったようですし)
そして近未来において、内閣(総理)がもしおかしな方向にいったとき、衆院議長が「ち、ちょっとあのですね、ちょっとそれは立法府として審議できませんよ」とか言って、予算委員会を封鎖しちゃう、法案審議ぜんぶとめちゃう、とか起きたら政治SF小説としては面白いんじゃないか。
つまり、三権分立をまじめに行使しようとすると、行政と立法の二重権力状態が生じうるのではないか。
(国会法とかを読むと、もちろんそんなカンタンには起きないようにできているわけだが笑)
さらに飛躍するが、司法もきちんと機能したらさらに小説的には面白いことになりそう。
いわゆる三権分立が本当に機能したら、権力どうし、3すくみ状態で、小説的にはとっても面白いことが書けるんじゃないのかなあ…?
面白いというのは、「首都消失」を書いた小松左京的なというのか「日本以外全部沈没」を書いた筒井康隆的な意味でのドタバタ喜劇的な小説として、という意味で、本当に起きたら困りますが、そんななかから、読者は民主主義ってどういうことだったっけ?に、改めて思いを致す、という。。。
と、秋の三連休に、妄想をたくましくしてみたのでした。