夏目漱石 「こころ」残された謎。

夏目漱石
夏目漱石が書いた「こころ」にはいくつもの謎が残る
長すぎる前書き1 漱石「こころ」を、iPhoneで読む

2021年5月1日から2日にかけて、iPhoneのブック機能で、漱石「こころ」を読んだ。

無料の青空文庫版。スマホを持ち続けるのはやや重かった。だが、ページを繰るスクロール感覚は、実際の紙にかなり近い。見事なUIUXだと思う。

気になったページに目印を置いたり、読了したページに付箋をはれる。メモを保存することもできる。フォントを拡大縮小することもできる(いちどに読める行数も変化も増減する)。

iPadなどのタブレット端末での読書体験はこれまでもあったが、iPhoneは小さく軽く、なかなか優れたものであった。

このゴールデンウイーク、コロナ感染拡大による3回目の緊急事態宣言下で、特にどことも行くあてもない。

たまたまた起動させたiPhoneアプリで目に入り、何気なく読み始めた作品だった。

長すぎる前書き2 高校時代は怖い作品だった

さて作品について。いわずと知れた、たいへん有名な重い作品だ。名作といわれるだけあって、さまざまな考えが浮かんでは消える。名作だからこそ、読者がさまざまに解釈する余白があるという。

「こころ」は、遠い昔の高校時代、教科書で部分的に読んだ気がする。そのときはあくまで授業の教材として、だった。全編をとおして読破できたのは、今回が初めてだ。

当時は「こころ」はなにか恐ろしい作品のように受け止めた。高校時代は思春期まっただなか。この小説では自殺という重いテーマを扱う。高校当時、この作品世界について考えることは、どこか自分の深い部分に傷が残りそうな、とても受け止めきれないような気がしたものだ。

以来、手に取って読んでみようという機会もなかった。わたしにとって魔力のような引力をもつ作品だから無意識のうちに遠ざけていた、ということかもしれない。

今回は、たまたまiPhoneで目についたわけだが、もはやある程度の年を重ねたせいか、「こころ」を若い時のように遠ざけることもなく、ある程度、冷静に読み進めることができた。

長すぎる前書き3 みんな書きたい「こころ」の謎

文章のすばらしさについては、いまさら言うまでもない。明晰な描写、巧みな比喩、シンプルながら飽きさせないストーリー展開。現代人の我々がいま読んでも、清新な筆致。明治や大正のこととは感じさせないみずみずしさがある。

漱石先生、本当にすばらしい…

なにが素晴らしいかというと、いま、ゴールデンウイーク下でどこにも行けず時間をもてあましているということもあるが、こうして感想を長々と書こうとさせるパワーが、この作品にはある。すごいことだと思う。

「車輪の再発明」だろうけど…謎解きに挑戦!

「こころ」は多数の先行研究がある。インターネットをぐぐるだけで、こころをめぐる多数の論考が出てくる。とめどがない。

それでも、一個人の感想を長々と書いてみたい。とてもすべてのネットの記事を読み切れないので、先行研究を押さえたうえで意義あることを書くことは、不可能である。

つまり、私が書くことは、もう、すでに誰かが書いている、いわば「車輪の再発明」の愚に陥る可能性が大だ。それでも自分が感じたことを書いてみる。

つまり、下記に書くことには、さほど社会的な意義はない。まったく稚拙な内容ではあるが、このブログは私の庭だ。だれに気兼ねすることなく、考えの赴くまま、書いてみたい。

なぜなら、「こころ」のなかには、回収されきっていない話、また残された謎がいくつもあると感じるし、いくつもの「たられば」の設定が可能なようなのだ。そこが、私のささやかな創作意欲を刺激してくるようだ。

そもそも「続・こころ」というものがありえないのか。ないなら自分で書いてみたいとすら思える。

ここから本題。「こころ」の謎に迫る。

[謎0:この物語構成と成立事情]

この「こころ」の物語構成は3部構成になっている。つまり、序破急の典型、理想的な形といえるのではないかと私は思う。すなわち、

「わたし」と鎌倉の海岸での「先生」との出会い、先生と奥さんとの交流が描かれる「序」。

序とはまったく関係なく舞台は「わたし」の故郷に。死期が近づく父、実家での出来事が描かれる「破」。

「先生」の独白遺書という形で「先生の友人K」との関係、いきさつが明かされる「急」。

(以下、適宜、3部構成を序、破、急と呼ぶときがある)

ネット上の情報によると、新聞連載前に、漱石は朝日社側に対しいくつか掲載していった短編のくくりを「こころ」という統一タイトルであらわすものになる、と知らせている。この想定で連載執筆を開始したのだが、ひとつひとつのエピソードが長くなっていき(筆が乗る、つまり、登場人物たちが作家の思いを離れて勝手に動き出し、というやつではないだろうか)、このような形にまとまっていったのだという。

つまり、最初から序破急の構成を意識して書いたというよりは、どこか途中で、このような3部構成を意識に収れんしていった、ということのようだ。

 わたしは、漱石の専門家、愛好家ではない。ほかの作品がどのような構造になっているかわからない。他の作品の物語構成との比較をしてみるのも面白いだろう。

[謎1:漱石はなぜこころを書いたか~他の作品との関係は~]

ネット上に残る、ほぼ日、吉本隆明の講演記録によると、漱石が書いた作品には、男性2人、女性1人を主人公とする物語がほかにもある。「道草」と「明暗」(未完)だそうだ。おなじ男性2人、女性1人の構図に何か強い思いがあったのではないだろうか、と吉本氏は見立てている。

近代文学の巨人・漱石であるが、吾輩は猫であるで作家デビューして死ぬまで、わずか11年しかない。そのなかで「男女3人もの」は、ほぼ連続して発表されている。今回は時間がないし私の任ではないが、他の2作品との関連のなかで、本作品のモチーフを読み解く作業が不可欠なように感じる。

[謎2:知人を自殺に追いやった、あるいはそれに近い体験を、漱石はもっていたのではないか?]

「男女3人もの」を、漱石が、ここまで手を変え品をかえ、書くのはなぜなのか。

そもそも、小説を書き始めたのだって、神経症の気晴らしにとと高浜虚子にすすめられたからというのが定説だ。「男女3人もの」を手をかえ品を替えて描いていったことも、当時の漱石にとって何等かの心理的必然性、こだわりがあった、とでも思わずにいられない。

[謎3:お嬢さんはKとどれぐらい親しかったのか?すでに二人は交際していたのではないか?]

「急」で述べられる先生の「遺書」のなかで、Kは自殺している。「こころ」のなかで最大の山場であり衝撃的なミステリーだ。

その自殺の動機は、Kの遺書には書かれていないので、先生はじめ物語中の人物たちにも読者であるわたしたちにも、わからない。

ただ、先生は、当時の状況として、3人の三角関係が影響したと受け止め、ひとり衝撃を受ける。

具体的にはこうである。先生とKは同じ大学の同じ学科の学生(専門は違う)で、同じ下宿の同居人だ。恋のライバルとなる相手の女性は、この下宿のおかみさんの娘(お嬢さん)という関係だ。

まず「先生」がこの下宿にはいり、Kより先に、お嬢さんになんとなくの恋心をいただいている。そこへ、同郷で求道者的なKを、先生が同じ下宿屋にひっぱりこむ。Kは人づきあいが苦手でふさぎ込むことがあり、Kが穏やかな人的交流をもつことで気持ちも晴れるのではという気づかいからだ。このKとお嬢さんが親しくなるリスクがあるとは、先生はその時点でまったく想定していなかった。しかい結果、Kとお嬢さんは、先生の思いをしらずに、次第に接近していく。

紆余曲折の結果、Kは、お嬢さんに恋しているのだという苦しい胸の内を、親友である私(先生)に告白する。これに先生は激しく動揺する。同じくお嬢さんに恋心をいだいていた先生は、機先を制して、お嬢さんのお母さん(下宿のおかみさん)に、「お嬢さんを嫁に下さい」と切り出す。いわば、Kが動き出す前に、奪取に成功する。

 Kはこの直後に自殺する。先生は、自殺の原因はわたしであると考える。先生はこのことを長年気に病み、世捨て人同然の生き方を選んだのだ。なぜなのか過去が知りたいという「わたし」に対し、物語の終盤、ついに先生は「わたし」に長い手紙=遺書をしたためて、送るのだ。

ここで疑問なのは、作中、Kとお嬢さんが再三、二人で出かけたり談笑したりと、かなり親し気な様子が描かれていることだ。

つまり、お嬢さんも、Kのほうに好意を抱いていたと受け止められる、おもわせぶりな描写が多数登場する。これにより、先生は、二人に対し(とくにKに対し)嫉妬を感じる。これが、Kに対する闘争心に火をつけ、先に好きになったのは私である、奪われたくない、といった気持ちを募らせ、先制奪取にうごかすことになる。見事な伏線だ。

ここで脱線となるかもしれないが、現代人の感覚かもしれないが、この場面の流れに、いささか違和を感じる。つまり、漱石はもっぱらKの気持ち、態度を問題にしているのではあるが、恋の相手であるお嬢さんの恋愛心理、気持ちにはまったく言及していないのだ。

つまり漱石は、お嬢さんの心理に言及しないということは、お嬢さんの立場をまったく不問にしている。つまり、お嬢さんの感情という恋愛要素を、一顧だにしていない。これがわたしが感じた違和感だ。

繰り返しになるが、Kの自殺の場面以前で、お嬢さんとKの交流が、「先生」が預かり知らないところでひそやかにすすんでいたことを示す描写が多々出てくる。つまり、お嬢さんはKを憎からず思っていたはずではないだろうか。このあたりが、小説中、すっきりしない。

下宿人とはいえ親しくしていたKが突然自殺したのである。お嬢さんは、非常に困惑し、深いショックを受けたと考えるのが自然ではないだろうか。そのあたりが、小説中、言及されない。一人称小説の限界といえばそれまでだが、ものがたりはあくまで先生の視点でしかものごとをとらえていない。

しつこくて恐縮だが、Kが、お嬢さんとの交際をある程度順調に進めていたことをにおわす描写が再三出てくるのであり、読者はそう受け止めるのが自然であろう。だから、先生による「お嬢さん先制奪取」は、かなりの衝撃であったことは間違いない。

ただし、Kの苦悩と衝撃はもう少し位相がずれていなかったか。

つまりKはお寺の生まれであり、養家の医科を修めよという要請も無視するほどの、求道者的な強い性格をもつ。ゆえに色恋をどこかタブー視し、先生以上に忌避していたとは考えられないだろうか。つまりKはこのままお嬢さんとの恋を順調に発展させることに強く躊躇を感じていたのではないか。しかし、実態行為としてはほのかな交際の芽が出ているのであり、その矛盾をかかえ、すでにみずから悩んでいた。なにも先生にお嬢さんを奪取された、ということだけが自殺の主因ではないのではないか。

もちろん、Kの遺書には恋愛のくだりが書かれていない。先生の行為への当てつけがあるのであれば、そのように書くことだろうが、そこは求道者として、「矛盾を気づかせてくれてありがとう」とばかり昇華してしまっているように感じる。

もちろん、遺書に本当の動機が書かれない場合もあると思うので、そこはやぶの中である。

先生は、Kの遺書に書かれていなかったことに安堵したとおり、素直に受け止めておければよかったのだが、元来、くよくよと考える性質の先生だけに、どんどんと自分を追い込む方向へと考えを染めていった。

 個人的には、半世紀にわたる人生のなかで、自死していった同僚や先輩後輩を、いくにんか、見てきた。なにか一つの主因から自殺を図るということはまれで、さまざまな理由が折り重なっていき、あるとき自死にいたるというケースが多いように思う。

恋人を奪取されたことは自殺の衝動的なきっかけにはなりえたが、主因とまではいえないのではないか。

この先の生きるのぞみがなくなったというのはKの本心であろうが、ある程度、恋愛に発展しかけていた寸前で、求道的な自分のありようとの矛盾をずばり指摘し、解消してくれた先生に対し、ほっとした思いもあったのではないだろうか。

 関連して別の論点。

これはさきほども少し触れたが、後世の人間による、漱石(明治の男性)の女性観、ジェンダー観の断罪、といえなくはないと自覚しての言及だが、「こころ」が現代においても読み継がれているということは、明治大正の古いジェンダー観がいまだに拡散しているという一面もあるので、一言しておく。

 先生は、Kとお嬢さんの交際、お互い「いい感じ」になっていることを知りつつ、お嬢さんの意思を確認しないまま、おかみさんに「嫁に下さい」と言っている点について。

 先生は、お嬢さんの意思を確認していない。つまり先生は、お嬢さんという存在を、おかみさんの付属物とみなしていることにならないか。結婚恋愛においては、男性であるKや自分自身の意図だけが重要なのであって、お嬢さん本人の意図はどうでもいい…。明治の男性は、そういう価値基準を無意識にもっていたことにならないか。

 現代であれば、おかみさんにお嬢さんを下さいという前に、お嬢さん本人に対し、「Kと付き合っているのか」とお嬢さんに問うのがふつうであろう。

あるいは、おかみさんに対し「お嬢さんの意思を知りたい」と聞くのがふつうであろう。そのプロセスなしに、いきなり「下さい」はいかにも本人の意向を無視した話のもっていき方であり、Kにもお嬢さんにも大変失礼であろう。

仮にKとお嬢さんがすでに「いい感じ」になっているのであればなおさら、お嬢さんは、自らの意思と関係なく、無理やり先生と結婚させられた形である。

 明治の女性はそれでも自分の意思とは関係なく嫁ぐべきものであると思いこまされており、お嬢さんは、Kへのほのかな恋心を封印したまま先生とあらためて向き合い、結婚したのではないだろうか。

ここで別の謎として浮かび上がってくるのは、物語の前半「序」での先生と奥さん(静さん)の関係である。

結婚後、先生は、一緒に暮らす「妻」に対し、実際はKのことをどう思っていたのか、実は交際していたのではないか、恋心をいだいていたのではないか、と問いただすチャンスはいくらでもあったはずなのに、それをした形跡がない。あくまで、Kの自殺の経緯をお嬢さん(自分の奥さん)に知らせたくない、の一心を貫いている。それはそれで尊い態度なのだが…

 この点について、いちども聞く気が起きなかったとしたら、現代人からするとまことに不自然だ。しかし、女性の気持ちはどうとでもなるもの、支配する男性側次第であるというのが明治の男の女性観だったのだとすればある程度、合点がいく。

ほかにも、残念ながら、「こころ」の随所に、現代であれば女性蔑視のそしりを受けかねない表現が出てくる。漱石の作家としての個人的限界というよりも時代的な限界と冷静に受け止めたいが、世はすでに令和である。今後、こころの増刷を考える出版社は、目次でも巻末でも「一部、性的差別にあたる表現がありますが、作者の考えを尊重してそのままにしてあります。ご了承ください」の一文をださねばならない日が来るのではないか。

まとめる。「お嬢さんとKは本当はつきあっていたのではないか?」これが、物語中に残された謎である。これについての確認作業を怠ったのが、先生にとって悲劇の主因であると思う。もし先生が、お嬢さんに対し、Kに対する気持ちを確認を最優先にしていたら、あせっておかみさんに「お嬢さんをください」と言い出すことはなかったのではないだろうか。お嬢さんの気持ちがKにあることを知ったうえで「嫁にください」言ったのだとすれば、それはかなりの玉砕覚悟の話、本当にKと対峙する覚悟で蛮勇をふるっての結果であり、その後の展開は、かなり違ったものになったのではないだろうか。

もちろん、別の展開も考えられる。先生がまず、自分もお嬢さんを好きだということをKに伝えるのである。これでKと先生は対等の立ち位置につくのであり、正々堂々とお嬢さんの前で二人が求婚するなり、アピール合戦を繰り広げるなりすれば、どのような結果になるのであれ、すがすがしいハッピーエンドの物語となったのではないだろうか。

(いや、それでもどちらかが自殺する、悩んだお嬢さんが自殺する展開はありうる。。とにかく漱石は悲劇が書きたかったのか?)

脱線した。先生はつまり、明治の男に特有の、女性の気持ちをないがしろにものごとをすすめようとしたから、結局は自滅、失敗に至ったと言えないか。

[謎4:先生は、なぜ外国人と鎌倉に来ていたのか?]

これは軽い謎。この外国人はおそらく学問上知り合ったひとであろうが、その後、物語のなかで回収されなかった。たんに、外国人をともなっていることは当時かなり目立つ行為であったことから、わたしが先生に目をつけるアイテムとしての使っただけだったことがわかる。

ただ、鎌倉にいっている当時、すでに先生は世捨て人のような暮らしを送っていたはずで、外国人の学者と知り合い、避暑として鎌倉に連泊し海水浴するような機会があったのはやや不自然ではある。もし「続・こころ」が書かれるとしたら、ぜひ回収してほしい伏線だ。

なお、「急」で、先生は学生時代、大学の宿題をこなすため、図書館で外国の雑誌に目を通す場面が出てくる。先生は外国語に堪能だったようだ。この外国人に造形を与え、再登場させることができたら、物語は厚みを増すようにも思う。

また、物語中、夏休みが学年の切り替わりであり、9月に新学期が始まるような記述が多い。明治の大学は、欧米と同じ9月が新学期だったことがわかる。コロナ下で昨年、一瞬、9月新学期が検討されたが、沙汰やみになった。やれば戻せることがわかる。

[謎5:先生と妻は、最後の夏、旅行に行ったのか?]

「序」か「破」において、先生と奥さんは、「わたし」が父の看病もあり帰省している間、夏に旅行にいくかもしれないということをほのめかしている。「破」のなかで、わたしは先生に手紙を書いたりしているが、返事が届かない。旅行にいっているせい、親戚の人に留守居をさせてはいるだろうが気を利かせて転送はしていないためであろうなどと推測している。

しかし「急」の先生の長い手紙のなかで、旅行には行っていなかったように書いている。

しかし、奥さんは、実家に帰している、その間にこの長い手紙を書いた(奥さんが帰宅したときには隠した)、とも書いている。

ふたりが旅行にいっていたなら、手紙を書くこともなく、また違った展開になっていたのではないか…。そもそも、「わたし」が過去を知りたいとせっつくことさえなければ、わたしが先生に接近しさえしなければ、先生は奥さんとの二人の生活を送っていたかもしれない。わたしが関与することで、先生に長い手紙という形で遺書を書く決心をさせ、結果、思いつめさせてしまったとすれば。。。科学における観察者効果(観察することが観察対象に影響を与えてしまうことを指すようだ)を思い出さずにはいられない。

[謎6:主人公の、実家はどこか?どういう境遇か]

わたしが実家に帰省し、また東京に戻る段になり、両親が、シイタケを土産に持たせようとするシーンがあった。実はわたしの実家はかつてシイタケ農家で干しシイタケも出荷していたのでこのくだりにはちょっとしたひっかかりがうまれた。こころのなかで、この記述にひっかかりをもった読者はおそらく私が最初ではないか笑。この気持ちはなかなか伝わらないように思うが、干しシイタケはいまのように中国産品が多数輸入される時代となる前は、実は味わいのある出汁がとれる、高級食材だった。

では、「わたし」の実家はどの地方にあったのか。物語中では明らかにされないが、直感だが、シイタケがさかんな静岡か長野という気がする。先生については、ひとこと新潟の出身だと書いてある。新潟でもシイタケはとれる。これは個人的な偏見に近いが、新潟のひとは、思考が深い。がんこでもある。もしかしたら先生もわたしも(ということはKも)同郷だ、という可能性がなくはない。が、実家のシーンで、雪深い冬を過ごすシーンがない。漱石の作品に雪はあまり似合わない。となると、静岡か長野か岐阜か、、という気がする。大分も宮崎もシイタケの産地であるが、兄は遠い九州にて働いているという設定からすると、九州実家説は採れない。

また、わたしの両親は、あまりあくせく働く印象はない。小作農ではなく、豪農、庄屋、旧家の類であることが想像される。

[謎7:危篤の父を置いて東京に向かう私。臨終に立ち会えた?]

「破」の最後に先生からの長い手紙=遺書を受け取り、慌てて列車に飛び乗ってしまったわたし。父は臨終を迎えているのにかかわわらず、というシーン。母親やきょうだいの批難が目に浮かぶ。それでも東京の先生に向かうことは私にとって重要なことで、先生の存在感の大きさ、その遺書の重さが際立ち、肉親の死はその後景に退く。物語構成そのものにくっきりと軽重をつける見事な転換だ。

ふつうに読めば、わたしは、父の臨終には立ち会えなかったように想像される。が、テキスト上は、父が死んだとは書かれていない。あくまで東京に向かう列車の車中で、先生の長い手紙(遺言)を読んでいるだけである。

 このあと、父は、幸いにも奇跡的に一命をとりとめた可能性は、ある。そのような後日譚も展開が可能だろう。

[謎8:先生は本当に自殺したか?一命をとりとめた可能性]

先生は、「急」の長い手紙=遺書のなかで、あなたが読むころ私は死んでいるでしょう、と書いている。

しかしテキスト上、先生の死を、私が確認するという描写はないのではないだろうか。わたしが、先生が生き延びていてほしい一心で、重大な見落としをしている可能性があるが、物語は遺書の読了とともに、唐突に終わっている。

もし、先生がすんでのところで自殺に失敗した、ということはないのか?

であれば、今後、まったく違う物語、「続・こころ」が描かれることが可能だと思うのだが…

[謎9:わたしの兄の九州での勤め口は熊本高校ではないか?]

 これも軽い謎。わたしは次男である。兄は、わたしと同じく大学を出て、九州のほうで働いている。私は思索家タイプだが、兄は立身出世を狙う現世利益家タイプ。

漱石はご存じのとおり、愛媛と熊本で教員経験がある。熊本を思い浮かべながら書いた設定だろうと想像する。

 ただし、兄の職種、勤め先までは詳しく書かれていない。とにかく多忙なようだ。それでも、病状おもわしくない父の見舞いのため、長期間、実家に帰ってきている。教員であれば、夏休みであれば長期休みがとりやすかったのではないか。兄のモデルは漱石その人で、弟であるわたしは夏目家のきょうだいのひとり。。そんな想像をしてみた。

[謎10:乃木大将の殉死との関係~物語の外縁再び~]

 先生は、遺書のなかで、自殺の理由として、長年抱え込んできたKに対する負い目とともに、明治天皇の崩御、乃木大将の後追い殉死にもふれている。乃木の殉死が、当時の日本人に与えた心理は大きかったのだろう。先生の自殺の背中を押したという設定になっている。先日亡くなられた半藤一利の「日露戦争史」1~3を読んだが、旅順攻略において、乃木はかなり戦争指導に苦しんだようだが、この殉死にいたる純粋な精神こそ、乃木さんの真骨頂なのでしょう。

 この小説「こころ」が朝日に連載されたのは大正のはじめ。まだ乃木の殉死から数年というタイミングだ。ほんとうはどのぐらいの国民(臣民)が、乃木の殉死の影響をうけたのかが、私にとって目下は勉強不足につき、謎だ。

現在において後追い自殺が起きるとしたらロックスターやアイドルの自殺だろう。新聞メディアは後追い自殺の連鎖が起きないように配慮して報道するものだ。

連載当時、後追い自殺現象は、すでに終わっていたということか。文学作品とはいえ、新聞に掲載することで影響はでなかったのか。そんな心配もしたくなるが、掲載する朝日としては、物語をしめくくるエピソードとしては荘厳で誠に格好がつく。朝日としても、好都合だったのではないだろうか。このあたりは不勉強からくる謎である。

■続・こころ

ここまで、あわせて10の謎について書いてきた。

読み返すと、重箱の隅、というものから、もしかしたらと思える大胆なものまで玉石混交である。

それでも、遺書の読了という形で唐突に終わってしまったものがたりを、再起動できないか。なんともそのように思ってしまった。そこで、10の謎をふまえつつ、以下のようなあらすじなら、「続・こころ」が成立するのではないか…と考える。以下、まったくの駄作となる可能性もあるが、ご笑覧に供す。

あらすじ案

 先生からの長い手紙(遺書)を列車のなかで読み終えた「私」は、戦慄しながら先生の宅へと急いだ。

 はたして、先生は無事だった。服毒自殺しようとしたところを、帰宅した奥さんがみつけた。処置がはやかったのがよかった[遠方に出かけての自殺だと防げない]

 病院で、先生はほどなく意識を回復する。高等遊民の自殺未遂として新聞沙汰にもなった。

[実家の父は…臨終を迎えてしまうか、再びもちこたえるか、これも2パターンありうる]

 奥さんと交代で看護がつづく。再び自殺を図るのではないかときをつかう。奥さんがいない間に、先生とわたしは、長い手紙、遺書の内容について、話し合う。

 書いたとおりなのであるから、あくまで自殺をもくろむ先生と、それはちがう、と必死に説得する私のやりとりが続く。

 先生の思い違い、Kも矛盾を解消してもらいほっとして旅だったにちがいないことをとき、また、奥さんは先生の所有物ではないのだし、Kにも想いをよせていたはずだから、顛末をすべて話すべきである、もう子供ではないのだし、ということを諭す。奥さんは打ち明けてくれないことをないより寂しくおもっていることも。

 若輩の私に対し、先生は納得しない。あくまで、Kに対しても殉死したいとのぞむ。

 〓[なんらかのヤマが必要]

 先生の自殺はKののぞむことではない、Kが喜ぶわけではない、むしろ奥さんを幸せにしてあげることがKに対する供養であるということに気づく。

Kの自殺に対するやましい思いが消えることはない、一生の十字架ではあるが、前を向き、奥さんとの語りがはじまる。

わたしは、安心して、下宿に戻る。

そこへ、実家から父が倒れたとの報がはいり、再び列車にのる。

親の臨終に立ち会うことができ、実家も引き継ぐこととなる。就職の口は、やがて考えることにする。

[ハッピーエンド]

そのころ、東京の先生夫妻から、新しい仕事についたこと、子供を授かったことを知らせる長い手紙が届く。

[アンハッピーエンド]

そのころ、東京の先生夫妻がそろって自殺したとの知らせが届く。再び長い手紙(遺書)に目をとおす私。


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